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| 美保関の時代背景と美保館 (廻船問屋 北国屋 〜 廻船問屋 和泉屋 〜 旅館 美保館) |
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| ◆美保関は、古くから海上交通の要所、風待ちの港として栄えてきました。朝鮮半島等との環日本海交易の拠点である美保関は、たたら製鉄による鉄の輸出港として繁栄し、足利時代には将軍の直轄領にまでなりました。当時は幕府の年間化粧代を美保関だけで賄うほどの上納金がありました。 現在も多くの古墳が発見されており、この狭い土地で多くの財をなした豪族が多々いたことを物語っています。 ◆そのような時代背景で、源平合戦は源氏軍の東の大将、松田十郎藤原貞秀が美保関に落ち、定住したのが美保館のルーツとなっています。その後日鮮貿易を取仕切り、代々庄屋、年寄職にあって屋号を「東」と称しました。 ◆江戸期に入ると、美保関は北前船の入津(三十三カ国の廻船)で賑わいを取り戻し、 中でも「東」は廻船業界最大規模の交易量を誇る北国七ヵ国(出羽、佐渡、越後、越中、加賀、能登、越前)、 米子・後藤船、松江・宍道船を独占、屋号も「北国屋」に変わっていきました。 美保関を往く船の写真。左後方には関の五本松。 |
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| ◆元禄から宝永(十七世紀初頭)、北国屋十八代
定秀一郎右衛門から当地に分家され、泉州地方の廻船商人との取引を主に行い、屋号を「和泉屋(泉屋)」と称しました。「和泉屋(泉屋)」は為替方設置の際も出資者の一人として名を連ね、松江藩と深く結びつきをもった商人でありました。(美保関は、この頃再び、西日本有数の歓楽の町として栄えました。当時の北国屋跡、和泉屋跡は現存しております。) |
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| ◆海上交通の要所として、また、西日本有数の歓楽街として栄えた美保関。青石畳通り周辺には、往時の面影が、今も色濃く残っています。 ◆山陰初の鉄道開通(明治三十五年)を機に、美保関での海上交通の要所としての役割の限界を感じた和泉屋は、明治三十八年、美保関で初めて本格的な旅館として「美保館」の営業を開始しました。 当時逗留された乃木希輔夫妻や伊藤博文(登記以前の船宿時代に逗留)の足跡などが残ります。 ◆ その後、現在の石畳より山側に二代目の美保館(現在の美保館 旧館(北館))が、海側の三代目美保館(現在の美保館 本館(南館))が建築されました。 複雑に組んだ数寄屋造りは、当時の指物師・大工達の高度な技術を見ることができます。 |
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| ◆近代に入り、合同汽船により数多くの参拝客、観光客が訪れるようになりました。青石畳周辺には旅館や土産物屋が軒を連ね、映画館や遊技場なども開館されました。 ◆開館以降、皇族の方々を始め、多くの文人墨客に御逗留いただき、多くの足跡や、書や画などの作品を残っています。 ● 明治42年、全国の寺を巡礼された乃木希典(乃木大将)は、婦人とともに美保館へ。「薄謝 乃木」の封書と白装束から、外出後に素性が判り、役場職員が後から追いかけてもてなしたというお話が残っています。 ●平塚運一は学生時代、美保館に長い間逗留し、美保関の多くの作品を残しています。当館にも数点残っています。奇遇にもワシントンにて当家の次女和子と知合い、当館新館の新築記念にも版画を賜りました。(昭和54年 山陰中央新報) |
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![]() 乃木希典 陸軍大将 ![]() 島崎藤村 ![]() 湯川秀樹 |
● 昭和二年、島崎藤村は著『山陰土産』(昭和二年)で「・・・春畝山人(伊藤博文の雅号)の額などの掛つた美保館の座敷で、先づ汗を拭いた・・・」
のくだりで、名を残して頂いております。 和泉屋時代に逗留された伊藤博文の額は現在も同じ場所に展示されております。 ● 高浜虚子も幾度か来館し、多くの歌を詠んでおられます。昭和七年 宿泊の際に、「遊船を 見るともなしに よし戸越し」は、夏には葦戸になる本館からの景色を詠んだもので、初夏には当館の床を飾ります。 ● 徳川夢声は当時の本通りである青石畳通りを当館 清風・薫風の間から眺め、「しとどなり 青石畳 秋の雨」と詠っています。 ● 幾度も来館したという湯川秀樹は、度重なる一筆の依頼に「一筆を 書かねば通さぬ 美保関」と残しておられます。 晩年は神学に没頭し、何度も美保関を訪れたそうです。 ●当館の箸袋に載せております水墨画は、小泉八雲氏の三男であり画家の小泉清氏が描いた美保大観です。 ●当館の土産袋や包装紙にある四点の画は 前川 千帆氏 池部 釣 氏 宮尾しげを氏 小野佐世男氏 の四先生が、山陰漫画の旅の途中、当館で逗留され、その節に寄せ書きされたものです。 ●おもしろいところでは、菅原文太さんの『時代はパーシャル』でおなじみナショナル冷蔵庫の人気CMシリーズ第一弾は美保館本館の縁側で撮影されています。(白黒映像です。もしお持ちの方がございましたらご一報いただければ幸いです)。 ・ ・ ・ |
![]() 西条 八十 ![]() 高浜虚子 ![]() 平塚 運一 |
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◆昭和四十七年に境水道大橋が開通、続いて昭和四十九年に上水道が通ったのを機に、 昭和五十四年、美保館 新館を新築し営業開始。本館での営業は二十三年間止まっておりました。 ◆平成十四年、本格的に本館の営業を再開し、大正ロマン溢れる古建築と、美保湾 大山の好眺望(美保大観)を再び皆様に御利用いただけるようになりました。 ◆平成十六年、青石畳通りを挟んで本館と旧本館の2棟が文化庁より、国の有形登録文化財に登録されました。営業中の旅館としては県内初の登録となります。 現在はご宿泊のお客様の朝食会場として、ご宿泊の皆様に来館いただいております。 また、一日一組貸切の披露宴会場としてもご利用いただいております。 その他、同窓会や忘年会、新年会、ご法要等、様々な御会合にご利用いただいております。 各種会合にも独特な雰囲気の会場として、好評いただいております。 |
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